2001年の5月から2003年の5月まで、丸々2年間、当時現役の留学生だったトシエさんが MIYACO に寄せて下さった日記です。当時から大分月日が経ちましたので、現在のアメリカ留学・生活事情にそぐわない箇所もありますが、当時の貴重な記録として、また、ひとつの読み物としてお楽しみ下さい。 【目次はこちらです】
餃子がピザになったワケ
- #52. (2002年06月19日)
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本日、またまた道に迷ってしまいました。
今日は朝から学校で先生と会う約束がありました。私の卒業までにするプロジェクトについて話し、10時半に学校を出ました。その後、学校から車で30分ほどしたところにあるオリエンタルフードショップに行くことにしました。今住んでいる場所のすぐそばにも日本食を扱う店があるのですが、ここには「餃子の皮」が売ってないのです。
で、学校からの帰りに(全然帰り道ではないのですが)寄ることにしました。ここでのもう1つの目的は、今私は日本人の子供の家庭教師をやろうと思い、そのチラシを置いてもらうことでした。
買い物も、チラシの件もすんなり終わり、その後家に帰る予定でした。ガソリンが少なくなっていたのと、その周辺は私の住むところより10セントも安いので、ガソリンを入れていくことにしました。なぜかガソリンのノズルがおかしく、満タンまで入れることが出来ず、まいっか、と再び帰途についたわけです。
この道は何度も来たことがあるので、(次の T 字の交差点を右に)と思ってたのですが、なぜか周りの景色は見たことのない山道になり始めました。しかも今まで見たこともない右へ Y 字に伸びる道を走っているようなのです。
とにかくさっきの Y 字 (T 字ではないです)まで戻ることにしました。そこで間違えたんだと思ったからです。でもその交差点で Y のもう1つの道を走ってみたのですが、やっぱり違う道のようです。で、さっき走った道にもう1度戻り、走りつづけました。
そのうち大きい通りに出ればわかるだろうと思ったのです。確かに知っている道に出てきたので、 その道を走りましたが、前回のように「東」と「西」を間違えたようです。折り返して、(今度こそ)と東に向かったのですが、そこからまた道がわかれていて、「右へ」と矢印が右に出ていたのでそちらへ曲がりました。ところがこれが大間違い。それまで「303」という道を走っていたのですが、この道は「303へ行く道」で、しかもこの道工事中で片側通行しかできないのです。
今日の気温は摂氏31度。炎天下で、じーと通行の順番を待つのは地獄でした。この道を走りきれば、知っている道にでる「はず」だったのです。ところが、とうとう突き当たりに来てしまい、どっちに曲がればいいのかわからなくなったのです。そこで私の「動物的直感」を働かせました。 とにかく南にむかって走らなくてはならないのはわかっていたので、「太陽のある方角」に曲がりました。
そしてやっと、はじめこのオリエンタルの店に行くのに使った道が出てきました。これはとにかく南に進めばいいので、「南」に向かいました。そうすると、このへんに住む友達の家の近くを通ったので、この道が正しいことがわかりました。あとはただただ家路につくのみ…。ほっとしました。しかし車の中の暑いこと…。エアコンが効かないのはきっとフィルターの替え時なのでしょう。エアコンにしたり、窓を開けてみたり、またエアコンに切り替えたりと忙しく運転しました。
先生との約束が10時半に終わり、家の近所に近づいてからもすることがあったので、 家に戻ったのは2時半になってました。普通なら店で買物をしたとしても1時までには帰宅できる予定だったのです。せっかく安いガソリンを入れてもとんだ無駄遣いをしてしまいました。
自分のアパートに戻り、どこでどうやって間違えたのか地図を確認してみました。どうやら例の T 字交差点をいつのまにか見落としていたようです。おかしいなぁ、走っている間全然この交差点は出てこなかったですよぉ。よくわかりません。私は1度自分で運転した道は絶対に間違えない自信があります。それに地図を読むのも得意で、地図はさかさまにしたり、くるくる回したりしません。そのままで右に曲がるか左に曲がるかわかります。ところが今日のは、一体どうしたことでしょう! 家に戻ると餃子の皮も暖かくなっていました。あ~、疲れた。今日は料理はやめてピザにします。じゃ、また。【第53話へ】